『PROMISING DEADLOCKシーズン2』(キャラ文庫)発売記念企画の番外編、第二弾(ディック×ユウト)、大変大変遅くなってしまい申し訳ありません。

(第一弾のロブ×ヨシュアの番外編はこちら

ネタが決まらず、いくつか書いてはやめて書いてはやめてを繰り返し、最後に「そうだ、バレンタインデーの話を書こう!」と思い立って書き出しましたが、着地点を見失い迷走。
書いたり弄ったり
ずっとぐだぐだしていましたが、これ以上、番外編SSをこねくり回しても仕方あるまい……とエンドさせました。
消化不良分は今取り組んでいる「DEADLOCK」シリーズのシーズン2、三作目に託したいと思います。

バレンタインデーの話のはずが、バレンタインデー前日の話になってしまいましたが、よかったら読んでやってください。
funny.pho.to_together_forever




★二月なので時系列的には『OUTLIVE』『PROMISING』より前の話になります。



You're my valentine





『You're my valentine』




 非番のその日、近所の公園でユウティを遊ばせて家に帰ってくると、ロブから電話がかかってきた。
「やあ、ユウト。今日は休みだろ? 今、家にいる?」
「いるよ」
 親友のロブ・コナーズはなんでも知っている男だ。教えた覚えのないスケジュールを把握されていることくらいで、今さら驚いたりしない。
「スプリンクルズのカップケーキを買ったんだ。わざわざ並んでさ。一緒に食べない?」
 ユウトは苦笑しながらその誘いにOKした。大学での講義帰りに人気の店に立ち寄り、カラフルで可愛いカップケーキを買う犯罪学者。嬉しそうにニコニコしながら並ぶ姿が目に浮かぶようだ。
 すぐにやってきたロブは、尻尾を振るユウティを撫で回したあとで、濃いめのコーヒーをリクエストした。ロブが持ってきたカップケーキは四種類あり、ユウトはジンジャーレモンを、ロブはレッドベルベットをそれぞれ選んだ。
 バナナはディックにあげてくれと言われたので、礼を言って皿に取った。ひとつ残ったチョコレートは持ち帰り、ヨシュアに食べさせるのだろう。
 淹れ立てのコーヒーを飲みながら、ふたりしてマフィンの上にクリームがたっぷり載ったカップケーキにかぶりつく。
「美味しいけど、すごく甘いな」
「そう? ここのは甘さが控え目なほうだよ」
 ロブはご機嫌な様子でカップケーキを平らげた。甘党ではないユウトにはこの半分くらいでちょうどいいのだが、ロブの厚意を無にしては申し訳ない。ブラックコーヒーで味覚をリセットしつつ、どうにか食べ終えた。
「ところで明日はどうするんだい? ちなみに俺はヨシュアを連れて、マリブにある人気のレストランに行くつもりだ。初めて一緒に過ごすバレンタインデーだからね」
 ロブはコーヒーを飲みながらウインクをよこした。ヨシュアの話をするときのロブは、いつも鼻の下が伸びて締まりのない顔になる。
「去年のうちから予約しておいたおかげで、海が一望できる窓際のいい席が取れた。サンセットを眺めながらアペリティフを楽しんで、日が沈んだら時間をかけて美味しい料理を味わうんだ。すごく楽しみでわくわくするな。君らもデートするの?」
「行かない」
「じゃあプレゼントは? 花束は手配した?」
「バレンタインデーだからって、俺たちは特別なことはしないよ。あ、でもレティには花を贈った。ルピータにはぬいぐるみとお菓子。毎年そうしてる」
 アリゾナで暮らす義母と妹へのバレンタインデーのプレゼントは、社会人になってから欠かさず贈るようにしている。
「君とディックってさ、結婚して三十年くらい経つ熟年夫婦みたいだよね」
 ロブは呆れたような表情を浮かべている。まったく納得しがたい意見だったので、「そんなことはないだろ」と言い返した。ディックとは十分すぎるくらいラブラブの関係だと自負している。
「俺に言わせれば、バレンタインデーだからって大騒ぎするほうがどうかしてるよ。恋愛にイベントなんて必要ないと思う」
「くだらないとわかっていても、あえて乗っかるのが楽しいんじゃないか。もしかしてユウトってアンチ・バレンタインデー派?」
「そういうわけじゃないけど。まあでも十代の頃は嫌いだった。花を贈る彼女がいなかったから、ダンスパーティーにも参加しなかったしね。そんな俺とは正反対に、パコはすごかった。薔薇の花束を必ずガールフレンドのクラスまで配達してもらって、放課後はパーティーとドライブでいけてるデートを演出するんだ。パコのガールフレンドは、どの子も最高の彼氏を持ったと思っていたはずだ。パコは女の子を喜ばせるのがすっごく得意なんだよ。息をするように恋愛を楽しめるあの性分は、つくづく羨ましい」
 ユウトが喋り終えると、ロブは「驚いた」と大袈裟に目を見開いた。
「前から思ってたんだけど、ユウトってパコのことが大好きだけど、同時に強いコンプレックスを抱いているよね」
「そりゃあね。パコは学校でキングみたいな存在だったんだ。フットボール部のエースで、彼女はチアリーダーとかモデルの子とか、とにかく美人ばかり。バンドも組んでいてボーカルとリードギター担当で、ライブをやれば大歓声。友達も多くて誰からも好かれていた。俺みたいな地味で目立たない大人しい奴がパコの弟だと知ると、みんな驚いた。そりゃ似てなくて当然だよ、だって血が繋がってないんだから。子供の頃から『本当にあのパコの弟か?』っていう台詞、死ぬほど聞かされてきてうんざりだった。コンプレックスくらい持つだろ」
「なるほどね。そんなにすごい兄貴なら確かに大変だ。俺ならきっと反発したり嫌ったりするところだけど、性格のいい君のことだから複雑な気持ちは押し殺して、いつだっていい弟として接してきたんだろうな。違う?」
 にっこり微笑むロブを見ていたら、急に気恥ずかしくなってきた。この頭脳明晰で洞察力に優れた犯罪学者の前にいると、何かもを見透かされた気持ちになる。
「別に性格がいいからパコと仲良くしてきたんじゃない。コンプレックスを上回る好意があっただけだよ。パコはずっと俺のヒーローだったから」
「パコが聞いたら泣いちゃうだろうね。ところで今もパコは君のヒーロー?」
「今は違うかな」
 率直に答えると、ロブは「別の意味でも泣いちゃうね」と茶々を入れた。
「今もパコのことは大好きだし尊敬もしてる。だけど彼をヒーローみたいに思う気持ちからは、卒業したほうがいいって気づいたんだ。自分のためにもパコのためにも」
「そうだね。尊敬や憧れってそれ自体はすごく素晴らしい感情だけど、対象が親しい相手の場合、理想化しすぎると健全な関係性を阻害する場合もある。誰にでも欠点や駄目な部分はあるのに、それを認められなくて必要以上に相手に失望してしまうのは、どちらにとっても不幸なことだ」
「それって君がヨシュアに言いたいことだろ?」
 今度はユウトがからかう番だった。ロブは一本やられたとばかりに肩をすくめてみせた。
 他人にはいつも的確なアドバイスを与えられる男でも、自分のこととなるとそうはいかないものらしい。ヨシュアに失望されるくらいなら、駄目な部分は見せないで完璧な恋人を演じたいというロブに、ユウトは少しだけ同情している。
「ひとつだけ言っておくけど、俺が怖いのはヨシュアに失望されることじゃない。彼に嫌われることだよ」
「どう違うんだ?」
「失望ならいくらでも挽回できるけど、嫌われたら一巻の終わりだ。ヨシュアはすごくきっぱりしているからね」
 確かにヨシュアは曖昧を嫌う性格だが、自分の恋人を血も涙もない人間のように言うのは、あまりにもロブらしくない。それだけヨシュアに嫌われることを恐れているのだろう。
 恋多き男の最後の恋は順調そのものに見えるが、本人にしかわからない苦労があるようだ。


 ロブが帰ったとあと、ユウトはキッチンに立って夕食の準備を開始した。ディックのリクエストで今晩のメニューはカレーに決定している。タイ風でもインド風でもなく日本風のカレーライスがいいらしい。
 ユウトと暮らすまで日本のカレーは知らなかったそうだが、何度かつくったらすっかりはまってしまい、最近はよくリクエストされる。日本のカレールーは近所のスーパーでも買えるし、つくるのも簡単だからユウトとしてはむしろ助かるくらいだが、今月はこれで二度目だ。ディックは一度気に入るとしつこく食べたがる傾向がある。そのへんはちょっと子供っぽい気がして可愛く思う。
 カレーを鍋で煮込んでいる間にサラダをつくり、それが終わると豚肉を冷蔵庫から出した。少し前に日本食レストランに行った際、ディックが肉を食べたいと言うのでトンカツを勧めてみたら、うますぎたらしく無言になってしまった。
 確かにトンカツはうまい。ディックが喜ぶなら家でも食べさせてあげたいと思い、ネットで作り方を調べると案外簡単そうだった。チャレンジしてみようと近所のスーパーでパン粉を探したが、日本のパン粉は置いていなかった。アメリカのさらっとした粉のようなパン粉では、あの食感を出せないので一度は諦めた。
 でも今日は大丈夫。昨日、仕事帰りにアジアンフードが充実したスーパーに寄って、日本スタイルのパン粉を買っておいたから。パッケージには<PANKO>と大きく表示されている。これでサクサクのトンカツを揚げられる。
 ディックから「あと十分くらいで帰る」とメールが届いたので、ユウトはとんかつづくりに取りかかった。筋切りした豚肉に塩胡椒を振り、小麦粉と卵と少量の水を混ぜた液につけ、パン粉をまぶす。たっぷり油が入ったフライパンにパン粉を落とすと、軽く沈んですぐに浮かんできた。ちょうどいい温度だ。
「よし、入れるぞ」
 緊張しながらたっぷり衣がついた豚肉を油に入れた。ジュワジュワと油が泡立ち、しばらくすると衣がキツネ色に色づいてきた。頃合いを見計らいトングで掴んで裏返す。
「あ……」
 一部がやや焦げかかっていた。フライパンでは深さが足りなかったようだ。慌てて火を弱め、全体がいい色になるまで加熱した。最後はしっかり油を切り、キッチンペーパーを敷いた皿に載せる。
 初めてのトンカツはまずまずの出来映えだった。焦げて色むらはあるが、裏にすればいいと割り切ることにした。
 テーブルにサラダと取り皿を並べていると、タイミングよくディックが帰ってきた。
「おかえり、ディック。夕食はもうできてるよ」
 スーツ姿のディックはネクタイを緩めながらユウトのそばまで来て、「ただいま」と頬にキスをした。俺の恋人は今日も最高にいい男だと再確認しつつ、キスを返す。
「夕食のメニューを当ててやろうか? 今夜はカレーライスだ」
「自分でリクエストしておいてよく言うよ。でも残念ながら外れ」
 ディックは眉根を寄せて「嘘だろ?」とユウトを見つめた。本気でショックを受けている様子が可笑しくて笑いそうになった。
「今夜はただのカレーじゃない。なんとカツカレーだ。トンカツ、好きだろう? カレーにトッピングしても最高にうまいんだ」
「カレーライスとトンカツを合体させるのか。それはすごい。最高のドリームチームだな。すぐ着替えてくる」
 ディックは驚くほどの速さでTシャツとジーンズに着替えて戻ってきた。ビールで乾杯してさっそく夕食を開始する。ディックはいつになくテンションが高く、ひとくち食べるごとに「衣がサクサクだ」「肉がすごく柔らかい」「ルーの甘みと辛みがちょうどいいな」といちいち感想を口にした。普段、食事中にここまで喋る男ではないのに、よほどカツカレーが嬉しいらしい。
「警察を辞めてカレーライス店をやったらどうだ? きっと繁盛するぞ。俺も手伝う」
 二杯目のカレーを頬張りながら真顔で言う。苦笑するしかなかった。
「こんなのただの家庭料理だ。誰にだってつくれる」
「そんなことはない。有名レストランで食べる料理よりずっとうまいぞ」
 ディックはロブのように美食家ではないし、何よりユウトのつくるものならどんなものでも褒めるから、申し訳ないがその言葉にはまったく説得力はない。
 食べ終わって満足そうに腹を撫でているディックに、ロブからもらったカップケーキを出してやった。
「デザートにどうぞ。ロブがくれたんだ」
 ディックは「うまそうだな」と手を伸ばし、かぶりついた。
「お前も食べろよ」
「俺はいいよ。夕方、ロブと一緒に食べたから」
「駄目だ、ひとくち味わえ。俺だけカロリーオーバーにさせる気か?」
 ほら、とカップケーキを突き出してくる。
「カロリーオーバーなのはカップケーキのせいじゃなくて、カレーを食べ過ぎたせいだろう。わかったよ、食べるって」
 顔を近づけ、ディックが持ったカップケーキをひとくちかじった。バナナの風味がふわっと口の中で広がる。
「うん、バナナもいける。……なんだよ? ニヤニヤして」
「最高の夕食に最高の恋人。今が俺の人生のクライマックスだって気がしてならない」
 人生のクライマックス――。
 ディックの口からあまりにも大袈裟な言葉が飛び出し、ユウトは噴き出した。可笑しすぎてテーブルまで叩いてしまう。
「カツカレーとカップケーキにかぶりついている俺が、人生のクライマックスだって? いくらなんでもそれはない。ディック、まさか酔ってるのか?」
「笑いたければ笑え。お前に俺の気持ちはわかりっこない。俺がどれだけ今の生活に感謝しているのか、ありきたりな言葉では言い表せないほどだ」
 冗談交じりならともかく、真面目な顔で言うものだからユウトは困ってしまい、「あー、ええとさ、ロブなんだけど」と強引に話題を変えた。
「バレンタインデーはヨシュアと海が見えるレストランでデートするんだって。ふたりで過ごす初めてのバレンタインデーだからってえらく張り切っていたよ」
「ロブらしいな。……俺とお前の初めてのバレンタインデーは、お互い仕事だった」
「ああ、そうだったな」
 去年の話だ。ディックはクライアントの旅行に同行してニューヨークへ、ユウトは大物の麻薬ディーラーを逮捕するため、張り込みで家に帰れないでいた。
「まあ別にバレンタインデーなんて、俺たちには――」
 関係ないよな、と言おうとしたが、ディックが不意に手を握ってきたので言葉を続けられなくなった。
「――ユウト」
「な、なんだよ?」
「今年のバレンタインデーはお前に花束をプレゼントしたい。駄目か?」
 やけに真剣な表情だ。まるでプロポーズの返事を待つようなディックの真剣な様子を見ながら、ユウトは本気で迷った。
 ここは笑うべきなのか? 笑ってもいい場面なのか?
「はっきり答えてくれ、ユウト」
 シリアスな態度を崩さないディックを見て、これっぽっちもふざけていないことを知った。よかった、笑わなくて。
「花をくれるのは構わないけど、別に気を遣わなくてもいいよ。俺はそういうの気にしないし」
「俺が気にする。というか、俺がプレゼントしたいんだ。お前はバレンタインデー嫌いだから去年は我慢したが、今年は一緒に祝いたい」
「え? 嫌いって言ったっけ?」
「去年の今頃、俺が14日は仕事でLAにいない、一緒に過ごせなくてすまないと謝ったら、バレンタインデーなんてくだらないものに振り回されるのはやめようと言っただろ。ああいうのは嫌いだって顔をしかめて言うものだから、手配していた花を慌ててキャンセルしたんだ」
 確かに言った。しかしそれはディックが心底申し訳なさそうにしていたからだ。一緒に過ごせないことで罪悪感を持ってほしくなくて、少し大袈裟にバレンタインデーを貶してしまったのだ。実際、ユウトにはどうでもいい問題ではあったけど。
「俺だって本当はお前をデートに誘いたいんだ。でもバレンタインデー嫌いのお前に無理はさせたくない。だからせめて花を贈りたい。それくらいは許してくれるか?」
 ディックに握られた右手が痛かった。繋がったふたりの手を見下ろしながらユウトは思った。
 ……ええと、なんでこうなった?
「あのさ、ディック。バレンタインデー嫌いといっても、別に蕁麻疹が出るほど大嫌いってわけじゃないんだよ。ただ積極的に参加して、その日だけ特別みたいに過ごすのは性分じゃないってだけでさ。だから花をくれることは構わない。っていうか嬉しいよ、すごく。お前の優しさだし」
「愛情だ」
「あ、ああ、愛情か、うん。そうだな。愛情だ」
 ちょっと面倒臭い……。ディックがというより、この状況が。
 しかしそんな気持ちを態度に出せば、ディックは確実に拗ねる。拗ねたディックはとても扱いづらくなるので、ここで彼の気持ちを拗らせるのは絶対に得策ではない。
「本当に嫌じゃないのか?」
「嫌じゃないよ。ありがとう。でも仕事が早く終わるとは限らないから、待たせてしまうかも」
「構わない。明日は俺が料理して、お前の帰りを待ってるから」
 驚いたな、と内心で溜め息をついた。まさかディックがそんなにもバレンタインデーに思い入れがあったなんて、まったく気づかなかった。
「嫌なら答えなくていいんだけど、ディックは昔の恋人たちともバレンタインデーは特別に過ごしてきたのか?」
 ディックは「いいや」と首を振った。
「お前と同じで、俺も男同士でバレンタインデーなんてどうでもいいと思っていたから、特に何もしなかった」
「へえ。じゃあどうして変わったんだ?」
 ディックはすぐには答えなかった。沈黙の中にためらいの気配を感じたユウトは、「いいよ、答えなくても」と助け船を出した。
「無理に聞きたいわけじゃない」
「いや、答えたくないとかそういうんじゃないんだ。上手く言葉が出てこなかっただけで。……俺は人より多くの死を見てきた。もちろんその中には、俺が奪った命も含まれる。どんな命も呆気なく消えることを体験として知りすぎている」
 ディックの言葉には安易に頷くことのできない重みがあった。特殊部隊の軍人として様々な作戦に従事してきたディックは、時には非合法な任務で罪なき人々の命も奪ってきた。
「今は平和な毎日の中で穏やかに生きていられるが、それでも明日が必ず来るという実感が持てない。別に悲観主義者でもないのに、つくづく嫌な性分だ」
 ユウトは黙ってディックの言葉に聞き入った。
「俺にはお前と過ごす毎日が何より大切だから、できることならすべての時間を覚えていたい。けど俺の記憶力は人並みだから、時間と共にいろんな記憶が抜け落ちていく。一ヵ月前、お前とどんな夕食の時間を過ごしたかも思い出せない」
「仕方ないよ。それが普通だ」
「ああ。でも特別な日のことはよく覚えている。いくつもある。俺がお前と暮らすために、LAにやって来たのこと。初めて一緒に過ごしたクリスマスのこと。ふたりで見た独立記念日の花火も、ツーソンで見た星空の美しさも、きっと死ぬまで覚えているだろう。だからバレンタインデーも特別な気分で過ごせば、忘れられない思い出になると思うんだ。いつか年を取って昔を振り返ったとき、あの年のバレンタインデーはこんなふうだったなって、お前と笑って話せる未来を想像すると、それだけで俺は幸せな気分になれる」
「ディック……」
「わかってるんだ。本当は覚えていられないような些細な日常こそが大切だって。ごちゃごちゃ考えて面倒臭い男だよな。すまない」
 自嘲の笑いを漏らすディックを見つめながら、胸が締めつけられるよう切なさを覚えた。明日が来ることを心の奥底で信じられない男が、同時に遠い未来を想像したがっている。
 それはふたりがずっと一緒に生きた末に訪れるだろう時間。ディックの欲している唯一のもの。
「……本当に面倒臭い奴だよ。だけど残念なことに、俺は面倒臭いディックが嫌いじゃないんだ。っていうより、すごく愛おしく思えるから謝らなくていい」
 ユウトは椅子から立ち上がり、後ろからディックの肩に両腕を回して抱き締めた。
「お前の気持ちはよくわかったよ。バレンタインデーは毎年ふたりの大事な日として過ごそう。……そうだ、俺は手紙を書くよ。特別なラブレターだ。それを保管しておいてくれたら、おじいちゃんになってもふたりがどんなバレンタインデーを過ごしてきたか、絶対に忘れないだろ?」
 普段、ディックに手紙を書くことはないので、我ながらいいアイデアだと思った。バレンタインデーは好きじゃなくてもディックのことは大好きだから、本意ではないがこれからは毎年「Happy Valentine's Day!」と書いたラブレターを用意して、ついでに定番のハートクッキーも買うことにしよう。
 面倒だけど、こういう手間を惜しんではいけない。手紙をもらうディックだけでなく、手紙を書くユウト自身も幸せな気分になれるのは確実なのだから。
「ユウト、ありがとう。俺の恋人は最高にいい男だと再認識した」
 腕を引かれ、膝の上に座らされた。ふたり分の重みで椅子が軋む。
「まさかここでキスするつもりか?」
 近づいてくるディックの唇を手のひらで押しとどめた。
「駄目か?」
「駄目だよ。椅子が壊れる」
「壊れないだろ。この椅子は見た目より頑丈だ」
「椅子が壊れるかもってヒヤヒヤしながらキスしたって楽しくない」
 ユウトが言い張ると「しょうがないな」とディックが折れた。
「じゃあベッドに行こう」
「ベッドも駄目だ。ベッドにいったらキスだけで終わらないだろう? まだ片づけがあるし」
「食器なら俺があとで洗うよ。全部任せろ」
 ユウトの手を握って寝室へと向かうディックは上機嫌だった。しかしユウトが小さく溜め息をつくと、急に足を止めて振り返り、「お前が嫌ならやめておく」と言い出した。
 今日は我慢して、明日楽しむほうがよくないかと提案することも考えたが、とびきりハンサムでセクシーな男が、叱られた子供みたいな目で自分の言葉を待っている。そんな姿を見てしまったら、甘く胸が疼いて別の溜め息が出そうだ。
 今夜は今夜、明日は明日で楽しめばいい。愛し合う行為で減るものなんて、何もないのだから。
「嫌じゃないよ。さあディック、俺をベッドに連れていけ」
 ジャンプして抱きつくと、ディックは素早くユウトの身体をキャッチしてしっかりと抱き留めた。ユウトの腰を抱きかかえたディックは、嬉しそうににやけている。
「お前って本当に俺のことが好きだよな」
「呆れてもいいぞ。自分でもうざいと思ってる」
「俺はうざいなんて思わない」
 その代わり、いつも心の中で思ってる。俺の恋人はどうしようもないほど可愛い男だと。
 ディックを見下ろす体勢で唇を押し当てた。わざと音を立てて派手なキスして、艶やかな金髪に指を入れてかき乱してやる。
 愛おしい気持ちが乱暴に飛び跳ねて心の中に収まってくれず、ディックを揉みくちゃにしてしまう。ついには耳朶に強く歯を立ててしまった。これはさすがにやりすぎだと我に返る。
「……ごめん、痛かった?」
 歯形がついた耳朶に指を這わせながら謝ると、尻を軽く叩かれた。
「そんな台詞は噛みちぎってから言え」
 
ディックは笑いながら答え、ユウトを抱いたまま危なげのない足取りで寝室へと歩きだした。
 
 





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